藍について
藍について
深く澄んだ空の色。
藍色は日本人にもっとも愛されたてきた色のひとつです。
明治時代、日本を訪れたイギリスの科学者ロバート・ウィリアム・アトキンソンはこの色を「ジャパンブルー」と呼びました。
それほどまでに、藍色は日本人の暮らしの中にとけ込んでいました。
藍色は、タデアイ、リュウキュウアイ、キアイ、ナンバンコマツナギ、ウォードの成分を含む植物で作られます。これは、世界各地で古くから行われ、日本ではタデアイという植物が栽培されてきました。
日本に藍染の技術が伝わったのは、十世紀頃だといわれています。
以来、どんな繊維にもよく染まり、清らかでぬくもりのある色を出す藍は貴重な天然染料となりました。
藍の代表的な産地といえば、阿波の国「徳島」です。
阿波藍とよばれ、それを使った伝統的な藍染が今も阿波の国で脈々と受け継がれています。
眉山山頂からの風景
眉山山頂からの風景。
徳島市のシンボル的存在として親しまれている。
阿波踊り
四国三大祭り「阿波踊り」。
なにはともあれ踊らにゃ損!!
阿波藍の歴史
天然藍の誕生は紀元前2000年の古代エジプトの時代だそうです。
藍が日本に伝わったのは、飛鳥時代(538年〜645年)で、1400年も前のことです。 藍染めの原料である蓼藍(たであい)が、中国から日本に来たのが室町時代。
阿波藍は江戸時代以前の天文10年頃には、葉藍による藍染が行なわれていたと伝えられています。
徳島県の吉野川流域に藍づくりが広まったのには徳島県の川沿いには広い平野が少なく、毎年何度かの洪水にみまわれ、その都度、家屋田畑に浸水し米作りには適さず、農民たちは貧困に苦しんでいました。ところが、藍作にとっては、洪水で入れ替わる砂質の土が良く、蓼藍の生育には適した肥沃な土地であったため栽培が進められ、江戸時代には阿波25万石の初代藩主の蜂須賀家政が播磨からの入国の折伝えたといわれ、播磨藍を移植し、藍の栽培を保護奨励をして品質向上に努め徳島はもちろん、全国に藍染めが普及し隆盛を極めて行きました。
徳島での最盛期は、1908年(明治36年)頃で、県内の藍草の作付面積は約23%でしたが、1880年(明治13年)、ドイツでの藍の色素(インジゴ)の化学構造の決定とその人工合成(純度94%)の成功、また1897年(明治30年)代では、インド藍(青藍成分、インジゴ含量、60%、阿波藍の数倍)の輸入と共に、阿波藍は生産性とコストで太刀打ちできなくなり、次第に衰退して行きました。
しかし近年、天然素材であり洗うほど色の冴える本藍染めの良さが見直され世界的に人気が高まりつつあります。
この阿波藍の持つ、素朴で清潔感ある色調「ジャパン・ブルー」に出会えるのは、藍が繊細で過酷で贅沢な産業であるにも関わらず、それでも今日まで阿波藍のバトンを繋いでくれている人たちがいるからなのです。
吉野川 「藍より青し吉野川」ともうたわれたことのある「吉野川」。
藍の館 阿波藍商の隆盛を偲ぶことができる藍の館
藍の花 秋には藍染めの原料になる、藍の花が満開。ピンクと白の花があります。
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